500 : 1[sage] 投稿日:2007/10/03(水) 14:20:26 ID:3ynxsoGY0 [1/4回(PC)]
もう13回忌にもなる義父の話を書かせてください。 

義父は、仕事も一生懸命やる人でしたが、 
働くと働いた分若い人たちと遊んで、家にはまともにお金が送られたことがなく、 
ほど義母1人の働きで家計は支えられていていました。 
 
働き方もけっこう無茶で、まじめに送金してくれれば、 
けっこうな財産を作れたのに、それらはほとんど手元に残りませんでした。 
そういう不摂生がたたったのか、義父は40代前半で脳梗塞に倒れ、 
半身不随になってしまいました。 
 
そのころ夫は家を出て自立していて、私たちが結婚する頃は、 
義母が1日中付ききりで義父の介護をし、つましく小さな公営住宅で暮らしていました。 
義父は自由に外出出来ないながらも、たまに私たちや義兄夫婦の車で 
どこかへお出かけするのを楽しんでいるようでした。 
 
私が長男を産んで家庭に入って3年目、義父はとうとう他界しました。 
義母は約15年間の介護生活から解放されたのでした。


501 : 2[sage] 投稿日:2007/10/03(水) 14:30:57 ID:3ynxsoGY0 [2/4回(PC)]
義父が倒れてからなくなるまでの間、義母はやはりずっと付き添いました。 
そのころから、もうこれで夫の人生がおわると確信していた義母は、 
色々なことが落ち着いたら、自分の友達や、親類のところに 
たくさん遊びに行こうなどと、なるべく前向きなことを考えようとしていました。 

義父は2ヶ月ほどして他界し、お葬式も終え、義母には静かな1人の時間が訪れました。 

どうも、私たち夫婦は、こと親族の生き死にに関わることが起きると、 
何かのスイッチが入るらしく、私はそのころ、自分の祖母の夢を見ました。 
もうすっかり痴呆が進んで、 
一緒に暮らしている家族の顔も見分けられなくなっている祖母が 
どうしてもここまで来いと私を呼んでいる夢で、 
始めて感じる奇妙な焦燥感がありました。 
まだ49日も住んでいなかったのですが、こういうことは初めてだったので、 
義母や夫と相談し、 
私は息子を連れて祖母のいる町へ寮歌晩をもって出発しました。 
(その時も色々あったのですが、それは割愛)



502 : 3[sage] 投稿日:2007/10/03(水) 14:40:26 ID:3ynxsoGY0 [3/4回(PC)]
>>寮歌晩……ナニコレ……『旅行鞄』です、すみません。 

私たちの留守中、夫は1人で寂しい母親の家に泊まっていました。 
ある夜、義母は所用で近所に出かけました。 
1人で暮らすことに慣れなかった義母は、義父の逝去後、 
写真に話しかけるクセが付いてしまって、 
「今から買い物に行くね」とか 
「今日は病院のあと弟のとこに行くから遅くなるよ」等とやっていたのですが、 
今夜は帰っても息子がいるというので安心して出かけました。 
その息子はソファに寝そべってテレビを見ていました、が、 
目のすみになにか動く物をとらえました。 
見るとテレビの横のカーテンが、裾の方から持ち上がっていたのです。 
片手で裾からまくり上げる形で、 
窓の外側にあるレースのカーテンと一緒に持ち上がっていたのです。 
夫はビックリしてそれを凝視しました。 
するとカーテンはすとんと落ちたそうです。 



503 : 4[sage] 投稿日:2007/10/03(水) 14:51:46 ID:3ynxsoGY0 [4/4回(PC)]
これはもしや父親がまだ家にいて、かんしゃくを起こしながら 
母の帰りを待っているのではないか、と思った夫は、 
テレビを見るふりをしながらカーテンの観察をしていました。 
すると10分もたたないうちにまたカーテンが独りでに持ち上がったのです。 
夫は呆れてしまいました。 

『父さん、母さんはお向かいに行っただけだ、すぐに帰ってくるんだって』 

すると、カーテンはすとんと落ち、以後、まったく異常はありませんでした。 

その義母も先年とうとう他界しました。 
色々な事情があって私たちはお仏壇に手をあわせにいけないのですが、 
(宗教的なこととかではなく、親戚間の確執です) 
義母の供養で不満なことがあると、義父は私たちに知らせに来ます。 
長男は、親が教えたわけでもないのに、 
帰省すると必ず愛犬を連れて墓参に行きます。 
行かなければならないと思うのだそうです。 
あまり信仰心のない私ですが、こういうこともあるんだと思いました。